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ゔぁみゅーだとらいあんぐる

雑記帳です。ほんとうにノリと勢いだけで何でも書きます。タイトルは作った翌日に先輩につけてもらいました。

特急しなの号の車内にて。

年が明けた。5日も経ったのか。年が変わる実感を、年々感じなくなっている。忙しいからだろうか。

 

年末年始は必ず父方の祖父母の家で過ごす。長い休みを組みやすいときに行かないと、どうも行きづらくなってしまうし。

 

ぼくにとって祖父母の家は戦場と言ってもいい。2人は別に普通に過ごしているようだけど、聞いたところでは祖母は目と足腰が著しく悪いようだし、祖父の胃は半分になっているはずだ。はっきり言って、ぼくが小学生だった頃の彼らのようになんでもできる大人とは言い難い。若くて元気なぼくは一挙手一投足に注意を払わなければならない。彼らが嫌がらない形で。おばが嫌がらない形で。両親が嫌がらない形で。狭い空間にいくつもの何重もの視線と期待があって、窮屈で、何日もいると耐えられなくなる。大体、どこかに蕁麻疹を作って帰ってくる。(でも、祖父母や叔母といると楽しいこともいっぱいあるし、やっぱり行きたい場所なんだよね。それはそうなのだけれど、という話。)

 

難波から2時間ちょっと、何度かしか降り立ったことのない名古屋駅で乗り換えて、中津川を過ぎると、一気に山中の景色に車窓が変わった。初めての路線を通るときは寝るか車窓を眺めるかに限る。南木曽という駅少し手前から、川の向こう側に学校が見えた。

 

学校ってどこにでもある。やっぱり、公立の教員って大変だなあ。たぶんここはもう長野県だから、それまで松本市街に勤めていても、辞令ひとつでここまで来なければならない、いや、住まなければならない。そういう生活も楽しいのかなあ。都市に当たり前のようにある施設の多くはここにはないだろうし、ここに住んじゃったら家と学校といくつかのお店にしか行かなくなるんだろうなあ。

 

鶴橋の高架に出たところだったり名古屋駅の手前だったり、そういう都市部との車窓の見え方の違いは家屋が一軒ずつ数えられるかどうかな気がふとした。都市部の情景を見て家を数える気にはならないけど、山間部だと「あんなところに家がある」だったり「あの家の屋根不思議だなあ」だったり、それぞれの家に目が向いてしまう。あそこの家の人が川の向こう側の人っ気のないところにある看板を立てた人かもしれないし、そこの家の人は駅前の書店の人かもしれない。

 

なんか窮屈な気がして、ぼくはこういうところで過ごせる自信がないな、と思う。やっぱり逃げ場がないとぼくは生きていけないのかも。

 

そう考えると、2016年は自分も少しずつ目立つようになって、いや全然目立ってないんだけれども、でもただの、匿名の大学四年生ではいられなくなった。それは(こっちの方を強調したいけれど)ある意味ではとてもありがたいことだ。でももう、自分の本名でぐぐると正体がバレてしまうようになった。何をやっている人なのか、周りから見てもはっきりしてきているんだと思う。あんまりもう逃げ場はない。

 

寝雪が見える地域に入ってきた。2017年の始まりは、お返しのための長野遠征。