2017年、哲学対話初め。
信州哲学カフェに行ってきた。しなのに乗っていたのはそういうことです。
主催(?)のはてなさんによるレポートはこちら。
ぼくのように信州と無縁な人も参加し始めたこともあり、想定以上に人が集まったみたいでした。哲学対話や類する活動に携わる多くの教員(こっちはほとんど信州に関係のある人だったけど)が集結したこともあり、結果としてはお祭りのような感じにもなりつつ。
小雪ちらつく中、赴きある雰囲気のシンカイさんでやる対話はとてもよかったです。
一人ずつ自己紹介(これで多分40分くらい)→問いだし→(とりあえず)多数決→対話という流れでした。問いは5,6個出たんだけど、ふるさとに関する問いに決まり(ある意味では予想通りだった)対話する中で、選ばれなかった問いがふるさとというキーワードとどう関連付けられるか、みたいな話も意識的にか無意識的にか発言の中に垣間見えて、面白く、かつ真剣に他の参加者の話を聞くことができた(懇親会で細かいところを聞き逃しまくっていることが明らかになってショックだったりもした。真剣だったんだもん。)。
感想は、実はほとんど翌日のはてなの通常回にお邪魔したときに言ってしまったんだよな。大まかに言うと、①雰囲気がよく居心地がよかった、②自分にとって重要な気づきが複数あった、③でも「哲学していたとは言えない」と主張することはできそう、という三点。
①雰囲気がよく居心地がよかった
それはなぜか、みたいな話は、いつも考えはするんだけど考えてもよく分からないことなので、ここで留めます。おやき、三つも頂いちゃって、美味しかったです。
②自分にとって重要な気づきが複数あった
ありました。
ぼくの住処は1歳の時から東京郊外の新興住宅地で動いていないので、開発によって景色は徐々に変わるし、しがらみも感じないし、家のお墓は全然違う所にあるし、便利かと言われると便利だけど?うーん、とにかくふるさとっていう感じが全然しない。まずこのことが一つ。ぼくにはふるさとがないのかもしれない。
そうか、「土地への愛着」ね。ふるさとが場所であるっていう前提から抜け出すとどうだろう、自分にとってふるさと的に機能するほかの何かはあるのかな、と考えたときに、一番最初に浮かんだのは中学時代の人間関係。だけど、なんか疎遠だし、いま帰れる気もしないし、あの頃とは変わってるじゃんって感じがする。帰れなさを感じる。帰れないとふるさとじゃないのかもしれない。
学校はどうだろうか。母校には今も行っているけれど、ふるさとかな。ふるさとじゃないよ、母校だよ。
逃れられないけれども、居心地はよくない。だから、なんとか居心地を良くしようと対話をしている。
…
自分にとって大切なもの、人がいなくなってなお行くところ、つまり骨を埋めたいところなのかもしれない。
…
だから、教員になりたいのかな。そうなると、ちょっとここには書けないけれど、すごくすごく大変な学校との結びつきがぼくの中にあるのかもしれない。というか、そう考えると、なんとなく教職課程に登録しちゃったことも、P4Cに吸い寄せられちゃったことも、その結果長野に行ったりしてることも、しっくりくるかも。大発見。
(細かい表現は忘れたので、引用部ははてなさんのレポートからそのままです。)
③「哲学」対話だったかな?
(もうこの辺の話は耳タコなのですが…)明示的な問いが対話の中に僕のものと全体へのアンケートみたいなの二つの計三つくらいしかなかったと思う。基本的に、対話自体は「ふるさと」というキーワードに関して、いま自分が考えていることをそれぞれが別個に(しかし様々に関連しながら)話していく感じだった。対話っぽさはあったけれど、ガチガチゴリゴリ感はぼくにとって微塵も感じられず、しかし結果的に哲学っぽい点はいくつもあって、「なんかよかった」って感じ。いや、いつも哲学対話ってそんな感じなんだけど。
一泊して、次の日は朝から湯田中温泉に行きおさがりの253とHiSEに無事乗車、午後ははてなのお一人に長野を案内してもらいました。温泉あり、善行寺あり、お土産あり、酒造あり。ほんではてなの通常回に1時間だけ顔出させてもらって、バスで帰ると。
よい、年の始まりでしたね。おみくじは末吉だったけど。