ゔぁみゅーだとらいあんぐる

雑記帳です。ほんとうにノリと勢いだけで何でも書きます。タイトルは作った翌日に先輩につけてもらいました。

今日ぼくは何に怒り、何に悲しみを覚えていたのか

東京03のコントに「蓄積」というものがある。
年末の検索ちゃんネタ祭りでやっていた気がする。
そんな話をしたところだった。

 

哲学Cafeありとぷらは、去年の春頃から月1ペースで開かれている10代のための哲学対話の場だ。もうすぐ22歳になるぼくは「名誉十代」として、場所の工面やら大人たちとのやり取りやら、学生コーチのような役割で参加している。今日初めて打ち明けてみたけれど、実はもうほとんど必要ない役割なんじゃないかと思っている。ともかく、今日は今年初めての活動日だった。コミュニティボールを忘れ、松屋で昼を食っていたら到着がギリギリになるという、ぼくにとってはあまりよいと言えない始まりだった。

 

信州哲学カフェに参加してから、なんとなくずっと頭に残っていたのが「ほどよく怒れていますか?」というような発言だった(例によって細かい表現に自信はない)。問い出しのときに「大きな声とか苦手だし、自分は怒らない人間なのだけど、でもずっととろ火で怒ってる気もする」という前置きがあって話されたのだったと思う。

 

ほどよく怒るってどういうことだろう。
というか、怒るってどういうことだ。
みたいなことが、ぐるぐるしていた。

 

ほどよく怒るとはどういうことか。
今日の哲学対話では、ぼくのその問いが選ばれた。
そのまま問いとして提出したのがよくなかったのかもしれない。一時間少々経っても対話はあまり進展した感じがしなかった。でも、ぼくとしては怒るということや叱るということにかんして、少しずつ考えが進み始めていたところだった。

 

かの、もうこれ考えるのやめたいみたいな雰囲気は、学校で散々食らっているし、慣れているはずだった。でも、「あと1時間20分もこの問いでやるの?」という言葉がぼくにとっては決定打だった。それから、「ぼくはみんなで考えてみたかったからこの問いを出したけど、付き合いたくなかったら問いを変えたほうがいいんじゃない?」ということを言った。そのあとはずっと泣きそうな顔をしていたと思う。あのとき確かにぼくは、悲しんでいたし、怒っていた。

 

もうほんとうに泣き出してしまいそうで、その場にいられなくなって、一人で会場近くのカフェで500円もするエスプレッソと泡だてたミルクを混ぜたみたいなやつを飲んだ。ああどうしようどうしようと思う一方で、そのようにしかできなかった自分が悪いともあまり思えなかった。ただただ年長者としてみっともないだけだから、それくらいのことなら別に受け入れられるでしょ、と自分に言い聞かせつつ、何に強い悲しみを覚え、何に怒っていたのかを考えた。この頃になると、ぼくが怒るときは決まって何か言いながら泣き出してしまうということを思い出していた。

 

それで、そのとき考えたことはこうだ。
ぼくは単に気になっていたことをそのまま表明した(言葉選びとか、あとあと対話することとかを考えると、もっとうまい問いの立て方があったかもしれないな、と後になって思う)。そのことを後悔させられている感じがしたことに、怒ったのだろう。ある意味では、「そんな場であっていいのか」みたいなことかもしれない。でも、その責任や原因を帰属する先はない。だから、悲しかったのだろう。後悔させられたのは決定打となった発言のせいではない。たぶん、それはなにか決壊みたいなもののきっかけに過ぎない。うまく言えないけれど、もっともっと長い、いろんな感情の蓄積が、その悲しみには篭っていた気がする。細かくは言わないけれど、いろいろな人といろいろな対話を思い出したから。

 

そのことが少し整理できて落ち着いたので会場に戻ると、メタダイアローグをやった上で次の問いの対話に移っていた。なんだかほっとした。

 

怒るということについて対話していたら、ほんとうに怒ってしまった。でも誰に怒ったらいいのかわからなくて悲しくなって、やっぱり自分弱いな、もっと強くならないとかな、と思いつつ、そんなの可能なのかと思った今日でした。

 

…って言われてもねぇ。。

 

…大変ご迷惑をおかけいたしました。。