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ゔぁみゅーだとらいあんぐる

雑記帳です。ほんとうにノリと勢いだけで何でも書きます。タイトルは作った翌日に先輩につけてもらいました。

悟りなどではない!!

書きたいことをノリと勢いで。

 

ぼくは間も無く終わる学部生としての大学での生活の中で、7つくらいの学生サークルと関わりを持ち、うち3つか4つくらいのサークルの運営に関わってきた。

 

どのサークルも、はたから見ればたわいもない、学生の集まりだ。などと言えるようになったのは、サークルを取りまとめる立場にいきなり立ったのだ、とおこがましくも自覚したときだったかもしれない。それまでは、そんなこと考えもせず、ただ呑気に、無責任に暮らしていた。気がする。

 

その後、ぼくの関わったサークルはいい意味でも悪い意味でもどこか吹き溜まりのようなところだった。

 

どうなのだろう。ぼくのいたサークルの人たちにとって「吹き溜まりのようなところ」という表現はどう響くのだろう。いずれのサークルでも「ゆるく」「たのしく」「心地よく」みたいなことが重視されていた、ようにぼくは認識している。それぞれ意味合いは違えど、なんらかの意味で「心地よい」居場所を求めて、その場を創ったり、その場に集まったり、その場からいなくなってみたりしていた、ようにぼくには見えた。

 

そんなサークルだから起こったのかなあ。

 

要はいろんなこと考えたくないっていう態度を多くの人がとってしまうってことだ。どのサークルでも経験したと思う。かの「もうこれ考えるのやめたいみたいな雰囲気」現象である。

 

ぼくはそういうときこんなことを思っていた。
「会計の仕方について話すとどんよりするってことは、みんな年度初めに払った部費はドブに捨てた感覚なんだろうか」「会則について話すとどんよりするってことは、誰かが突如サークルを掌握して独裁を始めてもいいと思ってるんだろうか」などなど。幼いと思われるかもしれないけれど、ぼくにとってはほとんどのことが自分や自分の周りにいるひとの居場所を懸けた何かだった。

 

でもほら、考えたくなさそうだし。
そしてぼくは、別にいまどうにかしなきゃいけないことでもないか、と思ってみたり、あとで一人で考えときゃいいか、と思って先延ばしにしてみたり、そういうありがちな孤独感に従って拗ねてみたり、でも多少は頑張らなきゃと思って必死になってみたり、していた(頻度順)。

 

そんなことを繰り返していると、あるサークルでは「老害」と言われてみたり、あるサークルでは「神のような存在」「サークルを熟知し、何かを悟ったかのように課題を考え出す人」と形容されてみたり。どっちもどっちだし、勘弁してほしい。別に意地悪したくて言ってるわけじゃないし、何かの悟りに基づいて修行のように何かを考えてるつもりもなく、心地よく過ごして、心地よく過ごすためにどうすればいいかなーと考えてるだけだ。

 

どうやら、何かについて考えたい人と考えたくない人がいるらしい。今回はそういう話に落ち着いた気がする(たぶん、次サークルでの日々について考えたら違う話になってるから、またどこかで書く)。

 

ぼくがわからなくなったことを書く場所になってるよね。