ゔぁみゅーだとらいあんぐる

雑記帳です。ほんとうにノリと勢いだけで何でも書きます。タイトルは作った翌日に先輩につけてもらいました。

一昨日と昨日

サークルの同期と卒業旅行をして、帰ってきて、勉強して、ゼミの出張に行って、帰ってきて、勉強して、そしたらその日は来た。前日、午後から始まる研究会に向かう途中、「そうか、明日は卒業式なんだあ」と思った。

 

本学の卒業式は学部ごとに二日間、異なる時間帯に行われる。一日目の最初に自分の卒業式があって、そのあとは書類を受け取って、およそ三人くらいしかいないと思われる学科の友人や、いろいろなサークルの同期と落ち合って話したり、写真を撮ったり、食事したりした。二日目も図書館で勉強しながら、呼ばれたら落ち合って写真を撮ったり、昼飯食いがてら部室で同期と話したり、また図書館へ戻って勉強したり、そんな感じだ。正直、自分の卒業式という感じは受けなかった。

 

…と書くのだけど、ゼミとかサークルなんかには「追い出しコンパ」や「送別会」みたいなものがあるから、実は卒業式が別れになる人は少ない。そもそも、たぶん卒業式の日にわざわざ会って…なんて人は普段から会っている人たちである。

 

「自分の卒業式感」のなさは同じ大学にまたすぐ入学するからである。二週間経たないうちにまた入学式だ(たぶん会場は違うけど)。同じ場所に通い、同じ図書館を利用し、同じ教室で勉強して、同じ部室で休憩するのだろう。それなのに「学部は卒業ですよ」なんて言われても…という感じである。学部変わるったってもう変わってたようなもんだし?

 

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夥しい数の袴姿の人、スーツ姿の人が正門に並んでいる。11号館の前でよくわかんないけどグッズを売っている。知り合いが何だか知らんが胴上げされている?
みんなにとっては間違いなく何がしかの大きな意味のある儀式なんだなあ。…考えてみれば当然である。多くの人にとっては、この日が小学校からの16年間かそれ以上の学校教育の期間を終えて社会に出るタイミングを意味するからだ。

 

卒業式の模様は8号館の「保護者向け会場」で中継されていたようだった。メディアイベントと化した卒業式。門出だよ。めでたい日だよ。ほらほらハレルヤだよ。はい次、校歌歌って。

 

将来にわたってかどうかはともかく、少なくともこの一週間は、いや、ちょっと自信がないのでその瞬間は、周りの人がぼくと撮りたがる写真にも、他のときに一緒に撮った写真とは別の意味があるのだろう。そんなことを思いながら写真を撮ったり、撮られたり。「葬式鉄しなきゃ」とか言いながら突然部室棟の遠くから望遠で部室内をすっぱ抜こうとする友人に付き合ったり…。

集合的記憶となるだろう卒業式。いろんなバカやったね。楽しかったね。さみしくなるね。

 

圧倒的にわたしの周りから知り合いがいなくなるということ、あなたに会って話すのが日常ではなくなること、あなたにもわたしにも別々の次の日常が待っているだろうこと。考えてみれば、常にあたりまえのことであるはずなんだけどこういうときにしか考えないよね。そして、面倒な儀式にも行ってみるとこういうことが隠れていて、うわあってなる。

時間の不可逆性と一回性を突きつけられるぼく。あの人は次どこへ行くのかなあ、もう会わなくなるのかなあ…もっと話しておけばよかったなあ。