ゔぁみゅーだとらいあんぐる

雑記帳です。ほんとうにノリと勢いだけで何でも書きます。タイトルは作った翌日に先輩につけてもらいました。

哲学プラクティス連絡会に参加した①

youtu.be

「プラネット・ウィズ」は面白い作品だと思う。内容というか筋立てについて考えがいがありそうだし、演出がたぶんぼくの知らないオマージュに溢れているんだろうな、と勝手に思っている。この歌はそれなりに好きなんだけど、あんまりなんも言ってなくて、でもそれなりに好き。でも「正義」って言葉の使い方はひっかかる。

 

 

8月25日(土)に第4回哲学プラクティス連絡会があって、翌26日(日)に日本哲学ラクティス学会第1回大会があった。哲学プラクティス連絡会の方は、「第◯回大会」っていつも数えてなかったっけ。まいっか。

 

最近の報告を含めて、エントリーしておこ、と思った。

今回は哲学プラクティス連絡会の午前中のお話を。

 

 

まず、哲学プラクティス連絡会について。

ぼくが詳述しまくるのもちょっと違う気がしたので、参加した部屋のことを思い出せる限りで残しておく。

とにかく始まる前は、製本版の機関紙44冊という重い荷物を自宅から台車で引いて移動した疲労感でいっぱいいっぱいだった。5323とか広い教室で孤独な時間を過ごしていたと思う。

 

 

①岩瀬優(東京大学大学院)

「学校において哲学対話が可能となる条件を考える―教師権力性をめぐる議論に着目して―」

東京大学大学院教育学研究科の修士1年生によるプレゼンテーション。

問題意識は、生徒と教師が原理的に権威関係にある学校空間で、(教師を含めた)参加者全員が対等である哲学対話が成立するにはどのようなことが必要か、というものだった。(何も見ないで思い出そうとすると)「プロ教師の会」の諏訪哲二という人の議論とそれに対する小玉重夫の応答から、教師が教師の役割を部分的に降りることで、その権威性の一部を手放すことができるんじゃないか、という提案を引き出す、という発表だったと思う。

確かに教師が担う役割は多い。例えば、毎時間生徒に授業する、生活指導をする、部活動を指導する、進路を指導する、遠足を引率する、委員会や生徒会を顧問する、学校を運営する…など。そして、大抵の学校では、「教師が」、それぞれに細かい規則を設けたり(遠足のお菓子は500円まで、とか、授業中に水を飲んではいけません、とか。*1)、細かい判断を下したり(来年の修学旅行の行き先は沖縄じゃなくて東北です、とか、なんとか)している。それはたぶん教師の権威性に基づいているし、生徒に対して権威を見せるという形で教師の権威を強化する営みでもある気がする。だから、その営みを部分的に生徒に明け渡してしまって…という方針である。

でも、全部とは言っていない。というか、全部っていうのは原理的に無理だ、っていうことは問題意識に含まれている気がする。じゃあ、どの部分を明け渡すことが哲学対話のファシリテーションをやりやすくするんだろう。あるいは、「教師」じゃなくて「ファシリテーター*2になるには、どの部分を明け渡すべきなのだろう。確かに、全体的に教師が教師らしくふるまわない学校では、教師ファシリテーターとしてのぼくの発言を、生徒は対等に扱ってくれやすい、という実感はある。でもそれがどのように可能になっているのか、まだあまりよくわからない。

部屋の雰囲気は、普通の学会発表っぽい雰囲気だった。発表者が司会者を兼ねたので、発表者がそういう場を想定してきたんだろうと思う。それがいいのか悪いのかはよくわからなかったけれど、とにかく、一応いまも修士課程にいて、一応いまもP4Cとか哲学教育とかそういうことを研究していることになっている身としては、この場で自分の考えていることを発表しようという気になんらかの意味でなってくれていること自体が嬉しかった。同じ教育学だしいろいろと(NGワード)情報交換したかった。あー、連絡先交換させてもらえばよかった。まだこの時間は眠かったんだよー。

 

 

かえつ有明中・高等学校「知のコードプロジェクト」

「「スパイダー討論」が対話の場を変える~紙と鉛筆だけで熱中する対話がスタート!」

別の研究会でかえつ有明・サイエンス科の「スパイダー討論」のことを伺っていたので、気になって参加してみた。とにかく体験して、コメントをください、という形式のワークショップだったと思う。楽しかった。

まず、ワークショップ主催グループの自己紹介があり、数分の説明があった後、2つのグループで対話(?議論?話?)をしてください、となった。テーマは「自分が生まれてから死ぬまで全ての人生が描かれてる本があったら、あなたはその本を読みますか」というもので、各グループの外側に二人ずつ、主催グループの方が記録を取る係として配置されていた。どのように話を進めるのかは指示されず、グループの中に主催グループの方はいらっしゃらなかったので、どのように話を進めるのかわからないまま、始まることになった。

ぼくのいたグループは、1分くらいの沈黙があって、ぼくが耐えきれなくなって、「これ以上、黙っていると、もっと話せなくなりそうなので…」とかへらへらしながら口火を切ってみた。そこから、ちょっと不自然だったけど議論が始まったんだと思う。あんまり覚えてない。とにかくぼくは、「あったら読む。なぜなら、書いてあったように出来事が進んで行くとき、どうにも興奮すると思うから」と言っていた気がする。そしてそんな人は他にいなくて、変な立場の人として見られていたと思う(ここは本質的じゃない)。

そのあと、グループでいまの対話を配布されたルーブリックに従って評価してください、となった。ルーブリックには評価項目が5つか6つが書かれていた。それらは、事後の説明によれば、目的によって内容を変えればよい、らしい。とにかくまた、グループで司会のいない中で、その観点から対話を振り返ることになった。

次に、外にいた記録係の人が記録(これが発話した順番を蜘蛛の巣形に記録するので「スパイダーネット」なのね)を見せてくれて、内容についてフィードバックもしてくださる、という段階があった。そして、その記録とフィードバックを引き受けて、再びグループで自己評価をした。

授業としてはここまでがパッケージのようで、その後この手法に関する質疑応答があった。まずはもとになってるこれを読め、っていう感じもちょっとあったと思う。 

最高の授業: スパイダー討論が教室を変える

最高の授業: スパイダー討論が教室を変える

 

ぼくが思ったのは、このツールは、その日行われた対話がどのような内容であったか、ということではなく、その日行われた対話の形式がどのようであったか(≒私たちはどのように対話を進めたのか)を振り返ることに使えるものなんだ、ということだった。そして多分、主催グループの方々もそこには同意していたと思う。

ただ、ぼくはやるならもうちょっと考えてから使いたいなという気持ちも同時に持った。つまり、このスパイダーの形式は何を評価するのに使えるのか、ということをもう少し吟味したくなったのだった。それは、「っていうか、他に対話の形式を可視化するツールを知らないかあれなんだけど、何を振り返るにはうってつけで、何を振り返ることはできないのかを自分なりに整理しないと、ルーブリック自分で作れないし…」みたいなちょっと尻込みする気持ちでもあった。でも、出会えたからよかった。必ず使えると思うし、ぼくが哲学対話のコマを持つ中で射程したい事柄と深く関わっていると思う。

 

 

③「これからの哲学プラクティス連絡会について/機関誌『みんなで考えよう』発刊のお知らせなど」

 

全体を集めてやったので、実質的には総会のような集まりになった。

 

本会の事務局を一人でつとめ上げ、この会の司会であった永井さんが、フロアの質問や要望やコメントに対応する形で、結果的にはどのようにこの会が運営されているのかが開かれた形になったと思う。

 

◯永井さんが開示した情報(覚えているだけ)

・プログラムに関しては、公募を全部通す形でやってきた

・事務局は持ち回りでやっていけたらいいなーと思っている

・会場費がタダなのでこの会場でやってます

・小学生、中学生に発表してほしいという要望がきています

・連絡会の参加費は、印刷代、サーバー維持費、受付の人の人件費、会場代を払うことになったときのためのプール金に使われています

・関西のp4cかたろう会と日程が重なったのはほんと偶然で、意図みたいなものはマジでないです。というか、ほとんど会場の都合でこの日程になりました。

 

◯フロアの方からの提案や要望(覚えているだけ)

・可能であれば、いくつか領域ごとのグループを作って、全体のプログラムをディレクションするような仕組みにしたい

・日曜日開催にして欲しい

・公募全スルーは、なんだかんだちょっと心配かも…?

・事務局やり通すの時間も労力も割かないといけないのだから、ちょっとはお金もらえるようにしてもいいのでは…?(ここでみんな拍手)

 

そして、やがて問題になったのが、新設される「日本哲学ラクティス学会」との住み分けをどうするつもりなんですか、ということだった。

永井さんからは、①学会は全く別の団体です、②連絡会で理論研究の発表をしないで欲しいという要望はあります、という話があり、フロアからは「学会では例えば哲学ツーリズムみたいなちょっとした提案やビジネスの提案はできないよね」みたいな話があった。それ以上の話があそこであった記憶はぼくにはなくて、いまになってみるとちょっと心配である。というか、そもそも全く別の団体と言えるの、とか、そうすることにどういう利点があるのか、とか、まだ曖昧になってるポイントがいくつかあるようにも思った。どれくらいきっちり住み分けるべきなのかということ含めて、もうちょっと考えたい気がした。

 

総会的な応答の中で、機関誌の編集委員長が到着し、無事に機関誌についての説明をさせてもらえることになった。編集委員をした私もへらへらと前にいて、なんかちょっとへらへらしゃべった。

説明した事柄としては、基本的には「前回大会で原稿募集などを始めて、様々な人のご協力があり、無事に発行できました。ありがとうございました。」ということと、「今回は無料で発行するということを考えて、製本版は執筆者と図書館にのみ渡し、他の方にはオンライン版でご覧いただく形にしたいと考えています。」ということだったと思う。あと理念とか読んでたかも。ある意味で最も大事だと思った点は、編集委員長の「仕事だと思ってやっていないので、メールとか、いろんな対応が遅くなります。でも必ずことは進めるので信頼して下さい。」という言葉です。えー、割り切ってそういう態度で私もやります。

 

さらに重要なのは、お金出すから製本版欲しいという方がフロアの中にいらっしゃって、ぼくはちょっと読み違えたなと思った。無料でオンラインにすればみんなあんまり本が手に入らなくてもいいって言うかなと雑に考えてました(まさにぼくが)。ごめんなさい。挙手してもらったら、欲しい方はかなりの数いらっしゃって、えー、大変なことになったな、と思っています。

下記リンクのフォームから購入希望を申し込めます。参加された方は第4回連絡会の感想とともにお申し込みください。

で、具体的な金額についてなど、いま試算したデータがあったりするのですが、どうやってお金を回収させていただくかも決まっていないので、ちょっと具体的な金額はまだなんとも言えません。追ってまた公的に連絡をさせていただくことになると思います。

オンライン版の公開含め、何かが(って完全に編集委員たちの別の「仕事」や個人的な事情が)落ち着いたら進むと思うので、しばしお待ちください。事は進めます。そういうテンポで哲学プラクティスに臨んでいない方にはとくに、本当にご迷惑おかけします。

philosophicalpractice.jp

 

※2018/9/13 追記

 『みんなで考えよう』の創刊号、オンライン公開されました。

philosophicalpractice.jp

 

 

今日はここまで。

*1:マジで水飲まないは教壇に立つときぼくが厳しいのでやめてほしい、と切実に思っています。ほんとどの学校も授業中飲み物ダメでしんどいです。体質なのかな。緊張すると水が欲しくなるのかな。とにかく10分に一回くらい給水したい。

*2:瑣末なことかもしれないけれど、よく英語のP4C関係の文献では"teacher-facillitator"っていう表記があって、ぼくはそれを「教師ファシリテーター」ってたぶんほとんど勝手に訳している。一方で、「教師の権威」と「ファシリテーターの権威」を分けて考える場合もある、というか、普通分けて考えている気がして、例えばクラス担任がファシリテーターをつとめたとき、その場を取り持ってる人のことをなんと呼べばよいのだろう。ってなってる。